中学生の娘は「人が怖い」と言って泣く時があります。
普段の学校生活も今イチ楽しめていない様子ですが、頑張って通っている状況です。
「人が怖い」のは、コミュ症だから、と親の私は安易に考えていました。
でも、コミュ障と一言で片付けるわけにはいかないことに気付きました。
コミュニケーション障害(コミュ障)には2つの概念があり、似た症状で、対人恐怖症というワードも見えてきたのです。
それぞれの医学的な解釈や症状について調べてみました。
そして、人が怖いと打ち明けられた時、親はどう対応してあげれば良いのかについて考えてみました。
目次
人が怖いと感じるようになったのはいつから?
娘が、学校などでうまく友達と話せないことに悩み始めたのは、小学校5年生ぐらいからでした。
どちらかというと、おとなしめで、控えめな性格なので、もともと友達は多くはありませんでした。
1人か2人の友達と仲良くできれば良いという感じです。
当時仲良くしていた子は、交友範囲が広く、気分によっていろいろな友達と過ごすタイプの子でした。
その子しか友達がいない娘は、教室の中で度々一人になる機会が多かったようでした。
一人になった時に、誰か他の友達に話しかけたりできれば良いのですが、それがなかなか出来ないタイプでした。
どんな時に人が怖いと感じるのか?
中学生になった娘ですが、現在、友達が全くいないわけではないのです。
部活の友達とは普通に話して、楽しく過ごしています。
でも、相変わらずクラスには馴染めず、同じクラスの友達とはほとんど話さないようです。
それは、1年生の時も、クラスが変わった2年生の時も同じ状況です。
その「人が怖い」と感じるのはどんな時なのか聞いてみました。
「自分が人にどう思われているかが気になってうまく話せない」
「親しくしている友達でも、なんて言われるか怖く感じることがある」
友達と楽しく会話できないこと自体も怖いし、親しくしている友達と会話している時でさえも怖いと感じる時があるということでした。
なぜ人が怖いと感じるのか?
娘は、なぜ人が怖いと感じるようになってしまったのか?
親としては、この部分が最も気になります。
もしかしたら、母親である私の育て方や接し方に問題があったのかもしれないと思うと切ないです。
不安に駆られながら、いろいろ調べて、娘の状況と照らし合わせてみました。
人が怖いと感じるようになってしまう原因はいろいろありました。
◆人見知り
人見知りな性格だと、初対面の人や、親しくない人と話すことを苦痛に感じる。
上手く話せなかったことがトラウマになり、苦痛が徐々に恐怖に変わってしまう場合もある。
今となっては人見知り云々とは話次元の悩みになっていますが、物心が付いた小学校高学年頃は、人見知りな性格だったのかもしれません。
◆コンプレックスがある
自分に自信がなく、その弱い部分を人に見られたくないと思って、うまく人と関われなくなってしまう。
また、自分に自信がない分だけ、余計に人に良く思われたいと思ってしまう。
自信がない自分のことを、相手に幻滅されたくないと思うので、人と関わることに消極的になってしまい、次第に人と関わること自体が恐怖に感じてしまう。
たとえば、勉強が極端にできないとか、見た目では、すごく太っているとか、顔に大きなほくろがあるとか、際立った特徴はありません。
ただ、娘がコンプレックスに感じていたとすれば、運動の面かなぁと思います。
小学校高学年の時、鉄棒で遊ぶのが流行り、娘は他の友達のようにうまくできず、楽しく遊べなくて悩んでいた時期がありました。
◆過去のトラウマ
過去に、友達から仲間外れにされたり、いじめを受けたり、先生に強く叱責されたことがあったりするという人間関係に強い恐怖を感じた経験がトラウマとなる場合がある。
また、どちらかというと大人しい性格なので、先生に怒られるという状況もほとんどありませんでした。
◆家庭環境
育った家庭環境によって、自分の人格が尊重されないで育つことで、自分に自信が持てなくなってしまう。
・両親が不仲だった。
・厳格な親の元で、自分の意見を言えない環境で育った。
・育児放棄(ネグレクト)され、十分な愛情を受けられなかったり、スキンシップが取られなかった。
・過度に干渉され、親の意見が絶対で、自分の意見を尊重してもらえなかった。
ただ、母親である私の考えが、自分の価値観と混同してしまっている部分はあります。
私が話し過ぎるせいで、自分が発言しなくても良いという環境になってしまっていた部分はあるかもしれないと思います。
人が怖いのはコミュ障?それとも対人恐怖症?
コミュニケーション障害やコミュ障で調べていると、対人恐怖症という言葉も目にしました。
人が怖いと感じる娘は、コミュニケーション障害、いわゆるコミュ障なのか、それとも対人恐怖症なのかどっちなんだろう?と思いました。
コミュニケーション障害は、他人と十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害のことのようですが、2種類の解釈があることが解りました。
耳が聞こえない(聞こえにくい)、声が出せない(出しにくい)といった、言葉を扱うことに関してなんらかの身体障害があったり、精神障害・発達障害などといった心の部門に関して問題があること。
でも、ネットなどで使われている俗に言う、「コミュ障」は少し違った意味で解釈されています。
・人と話すのが怖い
・人と何気ない会話(雑談)ができない
・人と何を話していいかわからず会話が続かない
・自分に自信がなく、自分が好きじゃない
・人の目が気になる
・人の気持ちが読み取れない
・場の空気が読めない言葉を発してしまう
・他人に興味がもてない
上の5個は、娘にも当てはまりますが、下の3個は医学的な観点での症状に近い感じがします。
このように、一言でコミュニケーション障害(コミュ障)と言っても解釈の範囲がとても広いです。
次に、対人恐怖症の症状を調べてみました。
対人恐怖症とは、対人場面で不当な不安や緊張が生じて、嫌がられるとか、不快感を与えるのではと考え、対人関係から身を引こうとする神経症の一種である
(ウィキペディアより)
・周りから見た自分を過剰に意識してしまう
・何をしても大丈夫という安心感がある家族や親友といるときは問題ない
・学校や職場など中途半端な関係の人が苦手
・人と、自然に話したり、緊張しないで話したりできない
・人に本当の自分を見せられない
娘に全て当てはまります。
また、対人恐怖症に似た症状で、社交不安障害というのもあるようです。
愚かに見えないかとか、場に合っていないのではとか、他人に辱められることに強い不安を感じるために、社交状況を避けたり、耐えていることによって、相当な苦痛があるとか生活に重大な支障があるという精神障害である
(ウィキペディアより)
人が怖いを克服する為に本人ができることは?
コミュニケーション障害と対人恐怖症の症状を確認してみて、娘は、俗に言うコミュ障に近いけれど、対人恐怖症という精神障害ではないかと思いました。
どちらにしても、このままの状態が続くと、日々の生活や人間関係に支障をきたしてしまい、うつ病を発症したり、ひきこもりになり不登校になってしまう場合もあるようです。
症状を克服する為に娘ができることは、その症状を受け止めて、開き直ってしまうことが効果的とありました。(ウィキペディアより)
言うは易しでして、それができたら苦労はありません。
娘も自分なりに努力してきて、部活の友達とは良い関係を築いて頑張っています。
でも、根本的な部分では、思うようにできず苦しんでいるのが現状です。
人が怖いを克服する為に親ができることとは?
人が怖いという娘に、親である私は、「大丈夫だよ」「気にする必要ないよ」と励ましたこともありました。
また、一方で何度も同じことを繰り返している状況に、つい苛立ちをぶつけてしまうこともありました。
「どうしてできないのか?」
「努力が足りないんじゃないのか?」
「変えたいという気持ちが本当にあるのか?」
今更ながらに、あまりにも酷な対応だなと猛省してしまいます。
親の私が今してあげられることは、
専門家の力を借りること
だと思いました。
本人の努力や、親の声掛けぐらいで治るものではない
とりあえずは、そのことに気付くことができて良かったと思います。
娘は、コミュニケーション障害なのか、対人恐怖症なのかは、医療機関を受診してみないことにはわかりません。
少しでも早く、娘が日々を楽しく過ごせるように、改善の為の道しるべを作ってあげたいなと思います。
最後に
「人が怖い」と言って、学校生活を楽しめていなかった娘ですが、親である私は、いつか治るだろうと、叱咤激励しながら見守るだけでした。
今回改めて、娘の言葉を受け止めて、いつ頃からなのか、原因やきっかけはなんだったのか、などを考えてみました。
また、コミュニケーション障害(コミュ障)や対人恐怖症という症状について深く考察してみた結果、いつか治るものではなく、むしろ悪化してしまいかねないものであるということが解りました。
苦しんでいる娘が少しでも早く、楽しい日々を過ごせるように、早めに専門の医療機関を受診しようと思います。